巨星、ラストフラッシュ!:三方ヶ原の戦い(武田 vs 徳川)

静岡県浜松市 1573年
「風林火山」を馬印に、織田・徳川軍を恐怖に陥れていた武田信玄のラストバトル。1572年、3万の軍勢を率いて遠江へ南下した信玄は、二俣城を占領。そのまま、徳川家康の待つ浜松城を落とすかと思われたが、城を横目に三方ヶ原へ突き進む。見過ごすわけにはいかない家康が出陣し、決戦となった。信玄は家康に打ち勝つも、その後、病に倒れた。戦国屈指の猛将は最後までその力を誇示してみせた。
マップのみどころ 武田信玄(紫)VS 徳川家康(黄)
浜松城で武田信玄を迎え撃つはずだった徳川家康にとって、信玄が素通りし、三方ヶ原に向かったことは誤算。歴史上では、「敵が我が庭を蹂躙して通るのを見過ごせない」と出陣した説もあるが、家康には織田軍が加勢しており、援軍だけでなく監視役でもあった。そこで、出陣せざるを得なかったという説もある。
裏ドラマ
「これは味噌じゃ!」家臣に向かって叫んだ若き未来の天下人。誠か嘘か、家康はこの合戦で信玄率いる軍勢から逃れる渦中、脱糞したという逸話も残っている。しかしのちに天下人。このときの、あまりにも万人の未来にも無限の可能性があると希望を持てそうなエピソードだ。