関ヶ原の戦い(徳川 vs 石田)
- 岐阜県不破郡 1600年
- 豊臣秀吉没後、天下取りに乗り出した徳川家康と石田三成が衝突。家康率いる東軍は三成率いる西軍に兵力で劣るものの、主戦場に向かう渦中で西軍につく武将に工作を重ねて盤石の構えに。方や西軍は分裂状態。どちらにつくか迷った小早川秀秋(紫)が東軍の威嚇射撃に怖気付き西軍を攻めた瞬間、勝負は決す。家康が天下統一に突き進む。
- マップのみどころ 西軍:石田三成(青)VS 東軍:徳川家康(赤) 小早川秀秋(紫)
- 東軍7万4000、西軍8万2000。関ヶ原の駅をまたぐほどの、大きな布陣である。山に囲まれた関ヶ原でにらみ合う、嵐の前の静けさ。小早川布陣の紫に対峙して、思いきり鮮やかな緑をあてた。
- 裏ドラマ
- 兵力に劣る東軍は序盤、向かいに石田三成と宇喜多秀家、斜め向かいに留まり、中立に身を置く小早川秀秋、背後に毛利秀元。徳川家康率いる東軍は西軍寄りの包囲網に睨まれていた。そんな「死地」に東軍が布陣できたのは、内通者の存在。中でも、毛利軍を預かっていた吉川広家と通じていたことで、西軍と対峙することができた。一進一退の攻防を重ねる中、西軍・三成は中立のままでいる秀秋に参加を促す。しかし、東軍の威嚇射撃に怖気ずいた秀元が東軍に加勢。一気に三成は追い込まれ、敗走するに至った。