水攻めフルボッコ!:備中高松城の戦い(羽柴 vs 毛利)

岡山県岡山市 1582年
問答無用の水攻めである。 毛利側の名将・清水宗治の城を、羽柴軍が巨大な水攻めで落とした。 羽柴軍25000に対し、清水軍はわずか3000。そのまま攻めても勝てそうだが、高松城の周囲には沼地が多く、合戦に不向きな地形だったため、水攻めが行われたという一節が残る。 この直前(※ ザ・下克上☆本能寺の変 を参照 )、京都の本能寺にて明智光秀のコスモが爆発した。
マップのみどころ 羽柴軍(ピンク)VS 毛利軍(水色)
時は1582年の5月。まさに梅雨の季節。高松城脇を流れる足守川沿いに全長3000mに及ぶ堤を築いた。作業日数はわずか12日間の突貫工事。近隣の農民たちに手を借りて、土木作業を進めたと言われている。羽柴軍からは、土俵1俵につき米1俵と銭100文が農民たちに手渡されたようだ。
裏ドラマ
織田信長の死を知った羽柴秀吉は一刻も早く帰京したい。しかし高松城を開城するも、城兵の命を守るという約束を取り付けるために行った宗治の水上切腹を見届けるまでは、秀吉はその場を動かなかった。その宗治の切腹があまりに見事だったため、切腹の作法が変化する転機になったという説も残る。